タイトルの通り、「曾根崎心中!」の感想です。ネタバレ注意!
結論から先に言うと、今回はかなりアタリだったのではないかと!私は思います。
まず、予想段階だが、近松門左衛門の古典「曾根崎心中」に「!」が付いただけという事で、はてどうなるのだろう?と思っていた。
素人頭で考え得るパターンとしては、絵柄に合わせつつもシナリオ自体はかなり忠実なモノ、シナリオ自体にもある程度アレンジを施すモノ、それとは全く別に、何かしらの学園物で劇中劇として「曾根崎心中」を演じるモノ。この3つがあった。
1番目と2番目はおよそ“程度の差”という事で、現代モノラブコメ以外描いた事のない方なのでありがちな考えとしては3番目も十分あった。
1番目、2番目の場合、元々の原作を多少チェックする必要はあるかと思い、事前にWikipediaで確認(浅くて申し訳ない)。あらすじをかいつまむ程度では到底理解した、と言えるものではないだろうが、心中モノ、悲恋モノ、と一口に括っても、あらすじだけ見たら「ただふんだりけったりの救いようの無いお話」という印象だった。実際、「あらすじが単純」との評も書かれている。
これを忠実に面白く描けるのか…?というのは描くのが河下女史であるという事を抜きにしても正直あった。描くとすれば、河下水希の隠し刀である心理描写と演出をフルに使い、それはもうとてつもなく儚く救いようのない悲恋話を演出する事だろうか。なんとなく僕はそんな風に感じていた。
結果、蓋を開けてみれば2番目という処であった。
今回のお話はエロもふんだんで申し分なし!また、オチへの伏線も結構見事で、あくまで「ラブコメ」として収めている点がポリシーを感じる改変だった。初の「死んでやるんだから!」という定番台詞と、史実では原作から流行ってしまったという「心中事件」の先行から徳兵衛の脳裏に浮かぶ「そうかこれで……」のシーンは、ミスリードであり、伏線であった。
が、ここからの話は女史がそこまで計算したかは定かではないのだが、もっと物語全体で見て感心した点があり、実は僕は、オチへの伏線はこのワンシーンだけではないと思っている。物語全体を読んでいく内にどうも違和感が強くなっていくのだ。言葉遣いが現代風なのは想定内の改変なのでさほどでもないのだが、九平次と小梅の現代風丸出しの眼鏡、九平次に至ってはアクセサリまで。小梅の「リアクション」、九平次「Mだなぁ」「マーベラス」「アメージング」、パッと出の徳兵衛の母は「日本海グルメ&エステツアー」…他には「ビッグゲスト」「プレゼント」。
いくら現代風の言葉遣いにしたといった所で、何故わざわざこんなに無意味に横文字を…?
しかもこれらはどんどん増える一方で、最後には(多分)原作の一説も引用されて混ぜられているのだ。余計違和感が際立つ。
しかし、これらの横文字、発しているのはほとんど脇役ばかりなのだ。主役とヒロインの二人は、せいぜい徳兵衛の「サンキュー」、初に至ってはようやく拾えて「エロジジイ」。そして二人の着こなしはかなり原作の時代に忠実(と思われる)である。
つまり、周りの脇役は事あるごとに“現代”を示し、この作品が「曾根崎心中」ではないという事を暗に示しているのである。主役とヒロインの二人だけが「曾根崎心中」の中を生きており、最後にようやく「曾根崎心中!」のキャラクターへとなったのである。
これだけではなく、徳の覚悟が心中を意識するにしては結構あっさり目に見えたのもあるが、もしこれらの脇役が「曾根崎心中」ではなく、「曾根崎心中!」たる証を示唆をしての作りだとしたら、河下女史に「天晴」、いや、「ブラボー!」との賞賛を送りたい気分である。
あと、
古河屋の歴代最高の有効活用も賞賛(笑)。
逆に若干気になるのは、インタビューで「主人公たちが「心中する」というところまで追い込まれちゃうっていう風にしたかった」という回答。
正直、これはあんまり感じなかった。むしろそれが良かったと言っている訳だが、本気でそう思って描いていたとしたらそこは「いや、ごめんそんなに。」という処。
あと、インタビューでも妙にピックアップしてあるけど、乳首はどーでもよかったです。あってもなくても良かったので、わざわざ描く必要性は…?という疑問はアリ。十分シチュエーションで今まで通りのエロコメディを作り出してるし、逆にこの乳首の1つや2つで物凄くエロ度を上げたんだ!というつもりだとしたら、私個人としては「いや、いつもの通りじゃん」と。
余談だが、この乳首解禁の流れは明らかに「ToLOVEる」が作ったものであろうが、はっきりいってあれはパンチラの延長線上、同類であって、エロはエロだけど、描かれたのを見て「得した気分」が味わえるのが第一義であって、リアルな興奮からは程遠い。そこはやはりシチュエーションでの勝負になるんじゃないかなぁと思うんですが。
それから、これは物語単品では価値が無く、河下水希がインタビューで「悪人がいない」「死は扱わない」と語っている様に、「曾根崎心中」を河下流でラブコメ化するとああいう展開だ、という事に意義がある様に思う。つまり、
「曾根崎心中」の二次創作という位置に居る事で、初めて高い価値を持つ物語でした。原典とは違い、幸せに生きる二人が居てもいいんじゃないのかな?と思っちゃう。そういう処が河下水希が持つキュートさならではで、そう感じられたなら女史が描く意義はそれで十分にあった様に思います。「曾根崎心中」とはオチが別物である事それ自体は、人によっては暴挙かもしれないが、それは残念ながら根本的な齟齬があった、で終わるより仕方ないかなぁ。一部サイトで「曾根崎心中の漫画化」の様に謳われていますが、それは若干語弊があるな、と。あくまで「曾根崎心中の二次創作(※)」として原典と比べる事で値打ちが出てくる作品ではないかと思います。だって、物語単品で見た場合、策士な主人公が企んだ巧みな逃走劇、でしかなくて、よく考えると大して良い話じゃない(笑)。
(※この場合、単純な「原典のメディアミックス化」を指す広義のものではなく、原典を題材に別作品として描く、という意味での二次創作である。)
とまぁ、こんなカンジで今回、かなり好感触の読切。あんまりジャンル的には時代物は好みじゃないけど、現代物にも頭打ち感がありましたし新鮮でした。
オリコンでも取り上げられています↓
http://rn-cdn.oricon.co.jp/news/ranking/55945/full/
評価:
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集英社
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(2008-07-04)