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Diary

主に音楽と漫画、創作物に耽る日々。
一言コーナー:母校がアニメの聖地になりました。
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SWEET & TOUGHNESS 瞳はPURENESS
【嗚呼…書いちゃったよ…orz】

掲示板でやるには流石に管理人としてまずいかなぁと思いましたので、
かといってなんかこう黙っているのもできない性分なので、
ちょっと語ってみたいと思う俺様いちご論第1弾です。
かなり肩の凝る内容であるのは間違いない。
ので、それが解った上で閲覧を。

言うまでもないですが、あの漫画になーんの疑問もなく手放しで素晴らしい、
と思う人は見ない方がよろしいかと思います。
見たくないモノを見るか、気付かずにいた方がいいものに気付くハメになるかも。

読む方は覚悟して読んで下さい。

ご意見があればメールフォームにでも。悪戯はご法度野郎。


【西野エンド、その理由と欠陥】

変な入り方から入りますが…。
たまに見る猛烈な西野ファンの見解として、
西野エピソードの方が量も質も東城より上だ。
だから西野とくっつくのは必然と言えるというものがあります。

が、これには相当に前提を設けなきゃいけない。
まず、確かにエピソード量を数字の面でグラフで測れば西野エピが突出しているだろう。
登場率では東城が一番であったとしても、彼女は他のキャラクターとよく出てたり、
真中のいないところで出てきたりするのも割とあるので、
邪魔者のいない彼女単独エピ、でいえば実はさつきより少ないのではないか?という位だ。
ひたすらデートだらけな西野に対し、東城のデートがなんとただの1回というのが、
かなり解りやすくそれを物語っている。

しかしこれはいわゆるストーリーの縦割りによる見解であって、
"流れ"という横割りは全く無視されていると言えるでしょう。
この作品においては、毎週のようにヒロインが変わっては、
真中の恋愛感情がリセットされる、●●ターンという方式を取ってきました。
勿論、この時点でいちごに見切りを着けた人も結構いそうですが、
長期連載に於けるある程度の打開策としては確かに一つの策であり、
また、大体が"コメディモード"でストーリーが動かないという安心感もあって、
いわば"冷戦"状態として、(何故か)ヒロインの間でも、
ファンの間でも(呆れ混じりながらも)受け入れられていたように思う。
「デート×4」なんかいい例で、非常に面白い話です、あれは。
東西南北ターンを無理矢理に1話にまとめている。
凄くないですか?それぞれ腹の中では彼の事が好き(1名除く)なのに、
真中の共有を行っているんですよ?はっきりいって変な奴らです(笑)。
しかも、東西南北それぞれの個性も出ている辺りといい、
とても興味をそそられるものです。
(と、同時に河下女史はやはり短話完結型漫画が得意なのだなぁという感想。)

話が少しそれましたが、つまり、真中の恋愛感情がリセットされるという事は、
いくらエピソードを積み重ねても意味がない、という事です。
その点において、東西北向、全員にチャンスがある、とは言えるでしょう。
(尤もやはりヒロインの"格"の都合上、この順で有力視されるのでしょうがその点については後述。)
まず前提としてその"五分の戦い"の理屈に持ち込めなきゃ西野さんは勝てなかったでしょうし、
確かにその認識は多くのファンの間でもあったものと思う。

が、当然ながらこのリセット&ループはそこまでの話で、
残念な事にここには「西野エピソードの方が量も質も東城より上だ。」まではいいとしても、
「だから西野とくっつくのは必然」には繋げられない致命的な欠陥がある。
だって、いくらエピソードを積み重ねても五分までしか持っていけないんですよ?
描いても描いても描いても描いてもリセットされるんですよ?グラフは毎週0に戻るんです。
「だから西野とくっつくのは必然」というには、
東城・北大路・向井・その他もろもろの西野以外の●●ターンを無視しなきゃいけない。
勿論、読み手としてそういう選択をするのは自由だが、
作外の事情を無視して物語の中だけで説明するのに、それら全てのエピソードを、
「それはただの真中の一時の気の迷い。実際はどんどん西野の惹かれている。」と主張するのは、
かなり無理があるのは言うまでもないだろう。
"エンドを与えられたから"それら過去のエピが読み手にとって意味のある存在になったとしても、
(それはそれでおめっとさんです−人−)
それらがあるからあの結果だ、という理屈には到底繋がらない。
(まぁそんな人あまりいないけど、
「西野エピソードの方が量も質も東城より上だ。だから西野とくっつくのは必然」という方には、
そういう前提が入っているという事に気付いてない人は割りといそうだ。)
あ、勿論、19巻分の中で西野エピがあの程度なくては西野エンドも意味プーであるのは確かです。
が、西野エピの積み重ねが西野エンドに直結していると見るには、
こういった前提がないといけないわけです、ハイ。


もし河下水希がそう描いているとしたら、正直かなり演出下手だと思わざるを得ない。
真中が再度告白した流れなんて外村にも指摘されて逆ギレしていたが、
「東城でなくても俺には西野がいるからいーやー」という無意識の打算が働いて見えて仕方ないし、
(さつきの存在を忘れてるとか何なのあれ?マジで。
あと手の平を翻したように「東城にも彼氏がいる」って???
まともに受け取るともう、アンタなんでそんな自分の都合のいいように解釈できるわけ?
とリアルに雑誌を投げました。
俺決められないけど皆嫌わないでくれ。→俺決めたからお前らこれ以上付きまとうなノシ
もうね、死んでしまいなさいと。なんちゅー傲慢な野郎だ。でもIt's the 真中クオリティ。
正直、そばで東西北向の阿鼻叫喚があろうとも、奴を刺し殺しそうなくらい嫌いです。
しかもその後もほとんど改善の見られないままこんな奴に成り下がるとは思いもよらず。
ぶっちゃけ彼には「主人公」というロールしか求められてないって感じですね。
例え東城と結ばれようがこんな奴だったら弁護の余地はないっす。
はっきりいって河下女史は何描いてんだろう?って感じでしたし、
言いたかないけど、こんな最低野郎にだったらくっつかなくてよかったわ、と言う主張が、
哀しい哉「うん、一理あるね」となるわけで。
そういう意味じゃ作品ファンとしては情けなさ過ぎて涙が出るんですが、
東城ファンとしてはある意味スッキリしてます。っていうか長い括弧書き…汗)

誤解が解けてもそれを否定する説明で一瞬3日間の旅行の光景が描かれていたが、
とてつもなく取って着けた感がしなかっただろうか?
それ以外でも西野が「前から知っていた」と言うエピとかも後付け感バリバリだし、
彼女の鉄棒告白も「ああ、この間東城が一歩進めたからいつものバランス取りね」、
と、どうしても「取って着けた感」が先行して見えてしまうのだが。
(ちなみに、東城の映画の中の告白ですら、
「ああ今までの劣勢をこれで挽回させたつもりね。」と私は思った。)
そういう所が雑に思うし、
それを「エンド一つ」の結果論で証明しているだろう、という上段落の理屈も、
はっきり言ってストーリーを追う意味あんのかな?と思わざるを得ない横暴な見方です。
真中の恋愛感情に代表される、
「あとでどうとでも出来るモノ」に僕は信用は置けない訳ですが、
それを結果一つで"塗り替え"られる方はなんていうか、ある意味器用で羨ましいなと思いますが、
一度疑問を持った事実について忘れるなんて出来はしないし、
ましてそれを本音として語れるなんて到底できません。

さて、そういうリセット&ループ展開とすると、
どうしても東城が持つ"他の要素"が一歩出てしまうように思います。
夢と言うテーマもそうだし、そもそも"五分の戦い"という方式と同時に、
どれだけ迷っても最後は東城の下に…という彼女を幹とした"お約束"の構図も捨てていないのだ。
(河下女史がこの理屈をギリギリまで引っ込めようとしなかった点は、
単純にファンに意地の悪いやり方と言われても仕方ない二枚舌ぶりと思う。
本気でギリギリまで迷っていた"過失"なのかもしれませんが、思い切り悪いッスよそれ・笑)
明確な恋のライバルが存在するのも天地だけだし、
東城・西野・北大路・向井というキャラクター配置は、
"五分の戦い"、という構図もあるにはあるものの、
東城の前に都合よく現れる西野・北大路・向井というライバルヒロインという、
"お約束"の構図という見方も出来る。
お笑いでいえばボケがあればツッコミが来るように、
そういった"壁"は乗り越える為にある予定調和(ベタ)のフリとして設けられているという認識は、
別に東城ファンに限らず存在していたはず。
(余談だがそれでいえば壁を避けるかのような選び方の西野エンドってのはお似合いかもしれない・超毒舌)
漫画の登場人物としての構造が東城を中心に渦巻いており、
それ故に東城はメインヒロインの"格"を備えている。
これは西野ファンにとっては脅威だったと思います。
西野エピが途中から増大して東城の影が薄くなるのも、
最後においしい所をあげるための"溜め"かもしれない、と。"出る杭は打たれる"と。
仮に最後の東城が結ばれたとすると、
質も量も上と言われる西野のエピソードは、"出た杭"だったのだろう、と思わないだろうか。
僕が西野ファンだったらそういう理屈で怒りをあげるでしょうし、
実際そんな事は許さん、と彼らは活動していた気がする。
15巻不買運動とか簡単に西野以外を叩く随分と傲慢な人がごく一部におられまして、
端的に言って不快で、もうちょっと言葉選べよ、とか見てて思いましたが、
(普段は平和なんだけど…)
弄ばれている気持ち自体は判らなくはないですし、
大前提として私がこういう事を書いてるのも、
それと同種と見なされても仕方ない部分はあるにはあるかと思います。
(といってもそれは解った上で見ていただけてるものと思いますし、
意見そのものが納得しうるかどうかが私にとって重要なのですが)

また話がそれました(汗)。
一方、西野はどうだろうか?
映画製作といった筋からも置いてけぼりにされ、
エピソードの間で語られない行間にある"環境"でも、
東城と真中は一緒に…いや、さつきも一緒にいるというのに、西野はつまはじき者である。
早い話が孤独なヒロインというところなのだが。

しかも、東城・西野ではなく、真中自体が前提として最初東城に惹かれている。これもでかい。
しかし、これがどう変化したのかがどうにも説明なしに唐突で、うやむやにされている気がするし、
西野さんもそこがとても納得いく説明を真中君にされているとは思わないんですけどねぇ。
文化祭でほっとした真中に敏感に気付きながら、
その後も真中を信頼できない状態に陥ってるのに、
「東城じゃなくて小説」で納得できるチグハグさなんか、
"ページの都合"以外の何者でもないですよねぇ。実に形式的。
こういう所に真中と西野の関係について、
「心理・人物描写が蔑ろにされている」と言いたくなる訳で。
全然"肝心なところに触れ合えて"ないと思うんですけどねー。
いくら真中の肩書きが無職から映画監督見習いになったとしても、
それは真中個人の成長であって、真中と西野のカップルとしての成熟ではないでしょうに。
この点においても、真中と東城の夢、というようなのと違って、
「二人で何かを乗り越えた」という印象がないのです。
西野が主張して真中が「はい従います」、真中が主張して西野が「はい従います」という、
主従関係に近くて、卑屈なカップル…と思います。
こちらでも語られていますが、
で、「パリ行きなど絶対に許さん」という両親相手に、真中が体を張ったりして根気よく説得に力を貸してくれた(真中が唯の父親に対してやったみたいに)、2人で力を合わせて難局を突破できた、というようなエピソードが「丁寧に」描かれていたりしたら。そして、そういうエピソードが、他にも重ねられていたりしたら。
というのは、妙案だと思います。

こういった夢といった要素に代表される"テーマ"や"演出"、
"キャラクター配置"において東城は何もしなくても強い存在感を備えていたと言える。
(それ故に「何もしない」彼女にアンチもいたのだろう。)
そういった結ばれる為の説得力に繋がる補助材料が、
西野には全然ないのが一つ不利であると言えましょう。
実際、それら東城の補助材料は、"あくまで同じ夢を見る同志"でセーブされ、片付けられた訳ですが、
語ってきたとおり西野にはそういう補助材料なしの素っ裸状態でエンドを与えられています。
元々愛だの恋だの浮ついた感情というものは非常に表現しにくいものですが、
それを補助するものがあってこそ説得力が出るものなのに、それはないうえに、
真中はリアルに浮ついているわで、まぁなんとも中途半端な!
だから、「東城が夢のヒロインだから」という比較対象に東城を基準とした言い方をしなければ、
彼らの関係って説明がつかなくなる。
勿論そんなモンは、単なる相対論であって、
真中と西野の間の絆の強さを、絶対的に計ったものではない。
東城に対する恋愛感情が最終的に0であることと、
西野への恋愛感情の程は本来何の関係もない事のはずです。
引っ張ってきた大事なオチを支えるべきその真中の意思が、脆弱なものに見えてしまうのは、
読んできた意味を損なわれた感覚です。
「白紙にしてくれ」って…そんな逃げを打つ寝言も程ほどにして下さい。
曲がりなりにも17巻からようやっと築いてきたその関係すらリセットしますか…。
というのが165話を読んでの私の失望。
なんなのその重みも何もないオチ…東西中3人に対してかわいそうだよ全く。
ないよりマシ、な西野エンドは要りません。描くんならもっとちゃんとしたのにして下さい。

勿論その補助材料として(つっても単にファンの要求に従ってるだけだと思いますが)、
西野にはエピが大量投入されているのですが、
既述の通り、リセット&ループがそれを"五分の戦い"に持ち込んだとしてもそれ以上のリードは否定されている。
それだけに例えば、東城においての天地のように、
日暮さんが明確に恋のライバル(壁)として機能していたり、
向井が東城ではなく西野のライバルにすべきだったのではないだろうか、と感じる。

西野が結ばれるに到る条件には、"五分の戦い"を前提として、
あと、立ち位置が孤独だからこそ"エンドくらいあげてよ"という、
東城・西野両方が真中と繋がりがある状態、を維持させる為の理屈にあると思う。
あとはまぁ真中をこれ以上最低にしない為、という倫理的判断かな?
まぁそれってのは形だけで実態としては終盤、西野以外への対応が余りにもまずすぎるので、
あんま意味ない気がしますし、
何より"義務感"と"打算"に因るものだという事を却って浮き彫りにする気がしてしまいますが。
"出来ちゃった婚"と同じ理屈?

実際、河下女史があげな西野エンドを選んだ理由の内、
作外の事情を省いて彼女らの為を思ってそうしたものでは、
この3つの理屈に基づくものではないかと私は推測しています。
特に2つ目の見解に基づいてのエンドの付与は決して悪くない判断かと思う。
惜しむべくはそれまでにもっとちゃんと西野に対して確りしたポジションを与えれば…
というのはやはり思うトコロ。
真中と西野よりも東城の描き方が洗練されている故に、
河下女史は見捨てた格好となっている東城ファンからも、
「東城綾を描ききった」と思われているのではないかと思うのですが、
逆に大事なオチに捧げられた真中と西野の描写が軽いので、
不本意感を一層浮き立たせてしまっているんではないでしょうかね?
"東城ファンとして"は、裏切られたと思っていたとしても、そこで切り捨てる前に、
彼女を描ききる、という、この河下水希が守った"最後の砦"まで、
辿り着く価値はあるのではないかとは思います。
(勿論これはファン感情から来る河下女史を性善説に因って見ているだけに過ぎないかもしれませんし、
そう思わ"させられている"お人よしなのかもしれませんけど…。)

が、とてつもなく冷静に言い放つならば、
「それは振られるヒロインに対して力を注ぐ事じゃないだろう」
(≒結ばれるヒロインに対して力を注ぐべき事だろう)
と思ってしまいますかね。
(例えばりりむの美羽を見て涙流したファンなんかいるか?)

作家・河下女史が最後に守った作品性が(いや、実際は本人のみぞ知るところでしょうが)、
結果として同時にこの作品の欠陥にもなっているというこのパラドックス。

うーんこう書くと悉くやる事なす事、裏目裏目で、やっぱり絵だけの人かもしれないなぁ(苦笑)。
実際終盤全体を通して、かなり女史の頭の中でもカオスな状態でヤバかったと言われても、
納得しちゃいそうです(笑)。
最終巻で描いてて楽しかったランキングに唯が1位という、実態とかけ離れたコメントといい、
自分でもつかめていない「難産キャラ」が超絶人気で大人の事情が発生する辺りといい、
俺だったら作家としてのプライドがズッタズタのボロボロだろうなーと思います。
美鈴番外編での
「まぁ女の子ばっか嬉々として描くような男はどうかと思うけど」
「なんといっても主人公が魅力的」、
秋色妄想日和の、
「だからってこんな下品なのはイヤ!!」
「パンツ見せて好きになってもらえるならいくらだって見せてあげるよ!」
といい、なんかいちごに対する自虐ネタなんだろうか?(笑)
と苦笑しながら思う自分がいます。

これがWJで求められる商業作家のあるべき姿とするならば、
実に河下女史はタフで、なんとも業の深い職業じゃのう、と思う次第。
(まぁ女だてらにあげな漫画を描いてる時点で結構肝っ玉が据わってますが。)
漫画家という職業に憧れと尊敬は勿論抱くが、なりたいとはとても思わないなぁ。
私にはとても真似できません。
(目指す年でもないが)

次回は【キャラクターの東城化】というテーマで一つ語ってみようかと思います。
(というかこの記事テーマからの脱線多くね?汗)
| 俺様いちご論 | 20:16 | comments(3) | trackbacks(0)
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コメント
ちなみに、今回の意見には、
http://plaza.rakuten.co.jp/wand6/diary/200508050000/
の方の見解に結構影響を受けています。
あ、勿論それ以外でもリンクした方のページとか、
見解として参考にしたものはいっぱいありますけどね。
自分の中で昇華していますけど。
| S.H.R | 2006/11/08 8:44 PM |
俺は度々申しているように、東城綾原理主義者です(死)
ですが、1人の「いちご100%」ファンでもあります。

確かに俺は東城ENDを望んでいました。
しかし、その「過程」が変だったなら喜びも半減していたでしょう。

「西野ENDマンセー」的な考えの人を度々見ますが、その人はその「過程」を全く無視しているように思います。


「西野ENDマンセー」的な考えの人に尋ねます。
「真中が他のキャラを選んだなら論外ですか?」
「西野ENDなら過程はどうでもいいんですか?」
もっとも偏見を丸出しで言うなら、↑の質問で納得できる答えが返ってくるとは思いませんが。

熱狂的な西野ファンでなくても、「いちご100%」のENDに納得している人が数多くいますが、その人たちにも、
「この穴だらけの過程でENDが決まったのに納得できますか?」
と尋ねたいです。



これは削除覚悟で書きました。
ですが、これが俺の本音です。
| シン | 2006/11/11 5:43 PM |
削除はしませんが…。今頃ですまそ。

それにしても思うのですが、西野ファンの方と私なんぞとは、
全く別の漫画を読んでるような錯覚に陥ります。ちょっとこれは凄いと思います。
(勿論西野自身についても)
好きなのはそれでいいですけど、「無理あるでぇそれ〜」ってのは多々。
| S.H.R | 2006/12/30 5:25 PM |
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